そうだ、献血に行こう!

売血から献血になったきっかけ

肝炎ウィルスに感染した血液を輸血となり、輸血を受けた側も肝炎ウィルスに感染してしまうと輸血後肝炎が医療現場で頻繁していました。日本では高度成長期の真っ只中で昭和39年には大18回オリンピックが東京で開催されて、東海道新幹線が開業したりと高度成長期で大いに湧いていた時代でした。太平洋戦争での敗戦から戦後20年の節目を迎えようとした時代に、日本が戦後復興を世界にアピールするオリンピック特需に沸く中で、起きたのが「ライシャワー事件」です。

昭和39年3月にアメリカ駐日大使のライシャワー大使が、19歳の男性にナイフで太ももを刺され重傷を負うという事件は、アメリカだけではなく世界中が注目した事件です。ライシャワー大使は、ケネディ大統領から昭和36年に駐日アメリカ特命全権大使として東京に赴任しました。

ライシャワー事件

ライシャワー事件が起きたのは、東京オリンピックを大成功のうちに終えて世界中から日本は戦後から見事な復興を果たしたと、とても高い評価を得ました。まさに日本の国をあげての努力が、敗戦国からの立ち直りとそして日本の国民も自信をつけたことになりますが、そんな中でライシャワー事件が起こりました。アメリカの駐日大使として駐在しているライシャワー大使がアメリカ大使館の門前でナイフで太ももを刺されて重傷を負った事件です。

親日家の大使

父親がキリスト教長老派教会の宣教師で、ライシャワー大使自身も日本で生まれました。日本生まれではありますが、日本人と交わることなくアメリカ人向けのアメリカンスクール・イン・ジャパンで学んでいました。その当時のアメリカ子弟と同じように、夏場は軽井沢でという暮らしでしたがその軽井沢で大正12年に発生した関東大震災を経験しています。その時には軽井沢に疎開してきた被災者たちへのボランティア活動を外国人の別荘仲間たちと行うということも経験しています。

アメリカへ昭和2年(1933年)に戻りアメリカの大学で学び、アメリカそしてパリでも東洋アジア研究を学び、ヨーロッパ在学中に日本語と中国語を学びました。そして昭和10年(1935年)に日本へ来日して、東京帝国大学文学部の外国人特別研究生として学びました。

フランス留学時代に知り合ったアドリエンと東京で結婚して、東京そして京都で学んだのちに中国の北京へ向かい中国で中国語を学んだ後に、ハーバード大学へ戻りは博士号を授与されています。

日本へ駐日大使として来日する前の昭和30年(1955年)に、妻のアドリエンが3人の子供を残して急逝したため翌年に、アメリカンスクール・イン・ジャパンの後輩の松方ハルと日本d絵再婚します。そしてハーバード大学燕京(現:北京の別称)研究所助長となりました。昭和34年(1959年)から昭和35年(1960年)には、日本とアメリカの間に大きな亀裂となった安保闘争が起きましたが、その直後に出した論文がジョン・F・ケネディ大統領の国務次官の目にとまり、駐日大使への要請になり大統領からの駐日大使の要請を受ける形で昭和36年(1961年)に日本生まれのアメリカ大使そして、日本人の妻を伴って駐日アメリカ特命全権大使として赴任しました。

親日家でライシャワー大使の奥様は日本人ということもあって、日本では大歓迎ムードに包まれました。駐日大使として駐在中に、日本のほとんど全ての都道府県を訪問したほか、各種団体の会合にも積極的に出席するライシャワー大使の活動は、日本のマスコミに大きく報道されました。

ライシャワー大使の日本での活動が報道されている中で、昭和39年(1964年)3月にナイフで刺されて重傷を負います。そして病院で輸血を受けますが、この輸血が元で肝炎を患うことになりました。輸血を受けたライシャワー大使は「これで私の体の中に、日本人の血がながれることになりました」と発言して、日本人から賞賛を浴びましたがその輸血が元で肝炎になったことで、日本の医療制度は輸血用血液が売血ということもあり、輸血用血液の売血廃止へと大きな転換期となった事件です。

肝炎を患ったライシャワー大使は、3ヶ月の入院をしてその後ホノルルの病院へも再入院していますが、「今、駐日大使を退任して自分がアメリカへ帰国すれば、日本人は事件の責任を感じるだろう」という考えから、駐日大使として留任することを決めて、肝炎を患いながらも駐日大使として活躍しました。

その後ベトナム戦争が本格化して、アメリカ本国の政策に違和感を覚えたライシャワー大使は、事件から2年後の昭和41年(1966年)7月に本国へ帰国して辞任の意向をジョンソン大統領へ伝え、7月25日に辞任しますが輸血を機にわずらった肝炎により、アメリカ駐日大使を退任したあとも、たびたび肝炎の発症に悩まされ持病となり最後は肝炎が悪化して79歳で亡くなりました。

売血問題の表面化

ライシャワー大使が刺されて、輸血が元で肝炎になったことで日本では売血問題が表面化するキッカケとなりました。マスコミでは「黄色い血の恐怖」という見出しで、輸血した後に血清肝炎に罹る患者が増えていることを取り上げ、その原因になっているのは輸血のほとんどが売血に依存していること、売血を輸血したことでライシャワー大使が肝炎になったのは日本の恥だと思いました。

そしてこのまま「黄色い血」を放置していたら、安心して輸血を受けることができないことになり大問題という認識がされるようになり売血制度を見直すことになったのはライシャワー大使事件を機に、提供者のモラルを期待する献血制度へと大きく舵をきることへとなりました。