そうだ、献血に行こう!

血を売る「売血」があった時代

現在日本では血を売る「売血」とうことはありません。日本で売血が行われていたのは1950年代から1960年代中頃にかけては自分の血液を売る「売血」がありました。中国では未だに売血が行われていますが、貧困に苦しむ村ではお金を得るために自分の血を売ってお金得ていましたが、衛生的にも疑問点がつくような状態に加えてずさんな管理のところで行われていた売血によって、村民達はHIVウィルスに感染してしまい村民達の多くが感染してる村があります。ヒトの血液を原料にして血液から造られる血液製剤があるからです。

黄色い血

かつて日本でも商業の民間血液銀行がありました。日本赤十字社が1952年前後に現:赤十字血液センター(旧名称:血液銀行)を設立して無償で血液を提供して欲しいという呼びかけをして歯いましたが、商業用の民間血液銀行があり民間では血液を買取ってくれていたため、無償で血液を提供する人たちよりも断然やはり自分の血液を売る売血の方が断然多くありました。

日本では輸血用の血液を現在の献血制度のように確立されていないころ、売血による血液で輸血用の血液を賄っていましたが、自分の血液を売ることで金銭が得られるために赤血球が回復する前に繰り返し売血を行っている人たちの血液には別名で黄色い血と呼ばれていました。

なぜ黄色い血といわれるようなったのかというと、血漿そのもの色が黄色ということ。そして黄色には肝炎の症状の黄疸、また実際に血漿が黄色く赤血球が回復するまえに売血しているので血液そのものも黄色く見えたからです。

黄色い血といわれるほど、売血を繰り返す人たちはどのような人たちだったのかというと、低所得の肉体労働者たちでした。そして1960年代つまり昭和の高度成長期といわれる時期です。この時期は高度成長期で、今のような感染症の検査状態も不十分な状況での売血でした。血液を買取る側の民間血液銀行のモラルも低く、そして売血する側には暴力団も加わっていて売血者を集めるのは暴力団にとっては資金源のひとつでした。売血をする人たちに多かったのは覚醒剤常習者で静脈注射が、ひじょうに蔓延していました。静脈注射で覚醒剤を注射するので、注射針を通して、肝炎ウィルス感染が広がっていき肝炎ウィルスに感染した人たちが売血するという状況でした。

高校生そして大学生を中心とした「黄色い血追放キャンペーン」が行われたのは、1962年(昭和37年)のことです。どうしてこのように「黄色い血追放キャンペーン」が行われたのかというと、売られた血液のかなりがウィルス感染していた血液だったからです。輸血を必要としている人たちに、輸血が行われると輸血した後に肝炎となるという輸血後肝炎が医療現場で頻発していました。なんでも輸血したがために肝炎を合併してしまうリスクは20パーセントとも言われたほどで、その当時の医療現場の医師たちも手術して輸血した際に、肝炎となるの甘受リスクとまでしていたほどです。

現在日本では「売血」は禁止されています。輸血用や血液用製剤の原料となる血液は、すべて「献血」での血液です。売血が急速に減ったのは、1964年(昭和39年)以降に急速に減りましたが、それには大きなきっかけとなる事件があったからです。それは1964年(昭和39年)3月には発生した『ライシャワー事件』がきっかけでした。日本でアメリカ合衆国駐日大使のライシャワー大使の身に起きた出来事でした。

ライシャワー事件を売血はかなりのスピードで減りましたが、それでも製薬会社によっての有償での採漿は行われていました。完全に製薬会社の有償での採漿が終了したのは、1990年つまり平成2年なので売血がかなり減ったとはいえ、時代が平成になっても有償での採漿が行われていたことになります。法的にも完全に禁止されたのは2002年(平成14年)ですので、現在日本では売血は行われていません。

アメリカではどうなっているかと言うと、大手製薬会社や独立系企業が設置している民間の血液銀行で血漿分画製剤用の血液はまかなわれているため、有償での採漿が行われていますがアメリカ食品医薬品局(FDA)の許認可のもと運営されています。

血液を供給する人の身元確認はもちろんのこと、血液を採血するときには初回に血液検査が行われて採血基準に合格した人だけから、採血が行われていて供給する人にはある程度一定の生活レベルの維持が要求されることもあったりと、ウィルス感染などにかなり注意が払われています。